人は、崖っぷちに立たされているときほど、
「がんばれ」
といわれるのが辛いもの。
ニューヨークは、強くなくては生きて行けない、
優しくなくては生きている資格がないことを試される街です。
また孤独に耐える術をまとってないとつぶれてしまう場所でもあります。
でも、性格によっては、
がんばれ、といわれると、
力を発揮するどころか、
反対に気持ちは萎え、
ますます窮地に追い込まれると感じる人もいるんですね。
強くなれといわれて、はい、そうですね、
と、簡単になれるものならどんなにいいでしょう。
孤独に強くなりなさい、といわれ、
ごもっともです、
と、翌日から孤独が気にならなくなるならどんなにいいでしょう。
「がんばって~」といっても何の応援にもならないことがあるんですよね。
忘れもしない4月、
何気ない慰めのつもりでいった「がんばって」で、
わたしも大失敗をしてしまいました。
娘は大学受験生です。
理数系を目指しているわけではないのですが、
9年生までは数学の成績がよかったなりゆきで、
Calculus BCのAP テストを受けるはめに陥っていました。
ただでさえ猛スピードで進む授業を、
最初の2クラスは、
ダイバーシティ会議に参加するため
スキップしなくてはいけなかったのが運の尽きでした。
早速つまづいてしまったのです。
でも、途中でそのための選抜クラスを抜けることは許されず、
もう前に進むしかなく、一体何度このことで泣いたことでしょう。
Calculus BCはアメリカでは大学で習う数学です。
そのAP テストは大学で習う内容をすでに習得していることを証明する大学受験の一環の5段階のテストです。
これで最高の5を取ると、たとえば、
トップアイビーリーグのプリンストン、イェール大学でクレジット2、
ハーバードで1を取得できる特典があります。
大学に入ってからそのクラスをスキップしてクレジットをもらえるため、
ますます激化している米大学受験を少しでも有利に乗り切ろうと、
学校もAPテストを受けることを奨励するのです。
当然このテストを受ける選抜クラスの子たちは5を取るプレッシャーを感じているのです。
これがどれほど娘の双肩に重くのりかかり、辛い毎日だったことか。
冬のある日、
Calculus BCの授業中、
先生のおっしゃっていることがまったく理解できず、
そっと教室を抜け出し、
トイレにこもって泣いたと告白されたときは、
わたしもいっしょに泣きそうになりました。
辛くて辛くて相当に自分を追いつめていたころです。
この崖っぷちに立たされていたある日、
わたしはついくちばしってしまったのです。
「がんばって」
娘はこれに対し、はっきりといいました。
「がんばってっていわれても今のわたしには何の励ましにもならないよ。
それどころかその日本語、大嫌い」
と。
がんばって。
つい、励ましたくてかけてしまった言葉でした。
強くなりたい、がんばろう。
くじけそうだけど、がんばろう。
でも、人によっては、そう自分に唱えることで
さらにプレッシャーを加速させ、
重圧をかけ、逆効果に働くだけなんですね。
はっとし、深く反省しました。
そしてそんなときアメリカ人がかける言葉はなんだろう、と考えました。
Take it easy
追いつめられやすい人は、真面目な人が多いです。
だからまずは、プレッシャーとストレスを取り去ってあげることが大切。
結果が5でなくてはいけないと思い込むと辛くなります。
でも、3でもいいじゃない?
だれだって苦手なことはある。
逃げないで受けただけでもすごいよ。
それにたかがAPテスト。
それで人生が決まるわけじゃない。
つい、がんばって、とかけた言葉は日本人としての悪いクセで、
あなたを追いつめるつもりはまったくなかったのよ。
許してね。
今、本当に辛いよね。
でも、心から応援しているよ。
そう話してやっとわかってくれ、最後はハグしてくれました。
わたしの気持ちは伝わったのでしょうか。
娘はほっとし、力を抜き、
結局、それから精神力の続く限りがんばったのです。笑
でも、幸せは、がんばれとはっぱをかけるほど、遠ざかることもある。
がんばれの代わりに、
今大変だね、応援しているよ、
この言葉で気持ちが通じると感じた経験でした。

「ほしがりません、勝つまでは」
の日本戦中のスローガンを揶揄ってみました。
幸せは自分にプレッシャーをかけて手にいれるものではない、
そんなことをニューヨークの子育てで失敗から学びました。
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